心を楽にするために振り返る子育て

「科学」という言葉に対して思うこと

昨年、NHKのテレビ番組「ワンダー×ワンダー」でマヤ文明の特集をしていました。

それを見ながら、いろいろと思うことがあったので、それらを書き出してみようと思います。

現代人の大いなる錯覚

現代人は、大きくは、次の2つの錯覚に陥っています。

「ワンダー×ワンダー」を見ながら、改めてそれを感じました。

いつの時代も陥っているであろう人類の思い込み

  • 現代は過去より進歩しており、未来は現在よりも進歩している
  • 自分たち人類は、地球上で最も進化した生き物だ

これが思い込みだと言われても、ピンくる人は少ないのではないかと思います。

  • 「過去は現代よりも遅れているし、未来は現代よりも進んでいる」なんて、疑問など一切入り込む余地もなく正しいことだ
  • 「人類は生物の中でもっとも進化している」なんて誰が考えても明らかなことだ

と、誰もが無条件に受け入れていてしまっていることです。

このようなことに疑問をもって考えたことすらないと思います。

現代は過去より進歩しており、未来は現在よりも進歩している

番組の中で次のような説明がありました。

月の満ち欠けの周期は、現代の測定によれば29.53059日で、マヤの人たちによれば29.53020日。その差は、現代と比べてわずか34秒の誤差しかない精度の高いものだったのです。

この説明は明らかに、「マヤ文明の科学が現代科学よりも劣っている」という前提に立っています。

もし、マヤ文明を認めると、説明は次のようになります。

【説明1】

月の満ち欠けの周期は、現代の測定によれば29.53059日で、マヤの人たちによれば29.53020日。当時に比べて、月の満ち欠けの周期は34秒長くなったのです。

【説明2】

月の満ち欠けの周期は、現代の測定によれば29.53059日で、マヤの人たちによれば29.53020日。現代は、当時に比べて34秒測定精度が低くなっています。

だから、マヤ暦で言われている長期周期 5,125年 (1,872,000日) を、現代の知識では理解できないという現実を棚に上げて、

「マヤ文明では5,125年という現代科学では意味をなさない(価値の無い)長期暦も採用されていました。」といったよう表現し、無意識のうちに神秘的な文明というベールを掛けてしまいます。

余談ですが、人には「自分に理解できないことは、相手や対象の責任にする」という性質があるようです。このような性質によって、真実から遠ざかり、事態は複雑化したり悪化したりします。

自分たち人類は、地球上で最も進化した生き物だ

この考えは、人類の驕り(おごり)以外の何ものでもないと思います。

進化論が正しいと仮定した場合、同じような起源的な生命から進化をし続けた結果としての生物が、現在地球に存在しています。

つまり、現在、地球に存在する生物の全てが、それぞれの進化の道筋において最も進化した状態だと考えることができます。

例えば、蟻(あり)は、現代の科学ではその実態を理解できないのですが、別の意味では、人類を超えた状態へと進化した生き物ではないかと考えています(詳しくは、「蟻の行動」の新解釈 で説明しています。)

にも関わらず、人類は、自分たちが最も進化していると思い込んでしまっています。

現代の科学

例えば、iPS細胞によって、自分の細胞から、自分の病んだ臓器を作り出し、臓器移植が可能になる時代が目の前までやってきているようです。

科学の進歩は目覚しいように感じられます。

しかし、それは、真実の理解に一歩近づいたということではなく、真実の持つ性質の一部を利用したに過ぎないと思います。

真実の一部でも、それを利用できるようになったのは、すばらしいことではあります。

そのような進歩を否定しているのではありません。

「そんな活動の継続が、真実の探求につながる」と思っていませんか?

ということが言いたいのです。

科学の目的 を 真実の探求としたときに、現代科学の活動は、私には、真実のほんの表層の部分を切り出して、真実の周りに貼り付けているように感じられます。

そんな科学の発展は、人間の頭で、大脳皮質が肥大化していく様子に似ているような気がします。

このような方法では、真実の模倣できる範囲は増えていくかもしれませんが、いくら頑張っても真実の理解へはつながらないように思うのです。

例えば、古代エジプトでは、永遠の命を信じて、王は死後にミイラにされた(させた?)と理解しています。

それに対して、

  • 古代エジプト人は、「永遠の命を手に入れる」とか「死後に復活する」とか「不老不死」を本気で考えるなんて、昔の人は、バカみたいに神話のようなことを信じていたんだな・・・

と、以前の私は、ちょっと、小バカにしていたところがありました。

現代人が行っていることは、現代科学的にな視点に立てば、臓器移植や死体の冷凍保存、iSP細胞による臓器の生成やクローン技術など、古代エジプトで行われていたことに比べて飛躍的に進歩しているようにみえます。

しかし、本質の部分では、何も変わっていません。

「医学や科学技術が発展すること」や「世の中が多くの工業製品で満たされること」、それらは、真実の理解が深まることとは、全く関係の無いことなのですが、現代の人々は、それが関係していると錯覚しているような気がします。

どういう方法だと、真実に近づくことができるのかは、今の私には、全く想像できません。

(ひょっとしたら、瞑想のような現代科学的な方法が、そうなのかもしれません・・・ )

太陽系外に生命が存在する惑星はあるのか?

時々、太陽系以外に、「水がある惑星を見つけた」とか「生命の存在する可能性がある」といったことが話題になります。

科学者たちは、知的生命体が存在する可能性を追いかけています。

私もそんな活動にはロマンを感じます。

そこにも、一つの思い込みがあります。

  • 地球外で進化した生命が存在すれば、人類と同じように魂が宿っている(自己意識を持っている)はずだ

という思い込みです。

  • 生命体が存在し進化している = 自己意識を持っている

という等式は、本当に成り立つのでしょうか?

地球上でそれが成り立っていることを考えれば、その可能性は大いにあると思われます。

でも、成り立たない可能性もあります。

だとしたら、この地球でその等式が成り立っているのは、本当に奇跡的な事が起こっているということになります。

次のような状況を想像してみてください。

ある星に知的生命体が存在し、われわれ人類と同じように自己意識を持っていたとします。

ものすごく科学的な理解も深いのですが、それを工業製品や経済に結びつけるようなことはしていません。

例えば、共に生きることを喜び合いながら生きている存在だとしておきましょう。

その知的生命体が蟻のような姿をしています。

個体間の情報伝達は、言語ではなく神経系の伝達によって行っています。

現代科学技術が進歩して、瞬時に宇宙のどこにでも移動できるようになった人類は、彼らが暮らす星にやってきました。

このとき、大きな問題が生じるのではないかと心配になります。

浅はかな人類は、そのような高度なコミュニケーションがあることには気づけるはずがありません。

たぶん、「この星に、知的生命体がいなかった!」と嘆き、地球での振舞いと同じように高度に進化した生命体を、足で踏み潰してしまうのではないかと思えるのです。

人類は、宇宙人が存在することを夢見ながらも、高度な知識を持つ宇宙人の襲来を恐れているところがあります。

ところが、人類は、今のような感覚のままでは、他の星の生命体にとっては、既に、彼らの生命を脅かすエイリアン的な存在となっているのです。

また、想像してみて下さい。

蟻ばかりが住む星があったとします。

別に、魚ばかりが住む星があったとします。

また別に、毛虫ばかりが住む星があったとします。

いろいろな生命体(知りうる限りの動物や植物)が、別々の星で暮らしています。

そのような状態を考えると、「彼らは、それぞれの星での、大切な住人である」と何となく感じることはできると思います。

ですから、前に「人類は既に他の星に襲い掛かるエイリアンだ」とは書きましたが、人類が、他の星で蟻に似た生命体を見つけたとしたら、もしかしたら、その存在を大切に扱うことができるかもしれません。

ここで、ちょっと、次のようなことを感じてみて下さい。

そのような、たくさんのたくさんの星で生きるべき、たくさんのたくさんの生命体が、たまたま一つの星に居合わせたのが、今の地球の状態だと・・・。

どうです?

私は、やっぱり「地球は奇跡の星なのだ」と思いました。

ということで、人類が地球外生命体とのコミュニケーションを本気で目指すなら、地球上のあらゆる動物や植物や、地球という存在そのものを、もっと大切にしなければならないと思います。

私たちは、地球外の知的生命体をどうのこうのと言う前に、

例えば、私たちが蟻とコミュニケーションがとれないことイルカと会話できないことを、自分たちの責任において認めなければなりません。

自分たちにその能力無いことを認めるということです。

そして、自分たちに彼らとのコミュニケーション能力が無いことを嘆くところから、やり直した方が良いと思います。

コメント

  1. ゴルゴ56 より:

    毎回、楽しみにしております。
    貴下の科学的考察に私の頭は付いていけないことも度々なのですが、非常に興味深く読んでおります。
    ひとつお願いがございます。
    オカルト現象について考察して下さいませんか。
    動画では、たくさんのオカルト的映像がありますが、その全てが嘘であるとは思えないのです。
    否、私自身は、その不思議映像(霊というようなものが写り込む)のいくつかは真実であると思っています。
    もっと言いますと、この宇宙の成り立ちと隣り合わせのような気もしております。
    貴下の視点から、
    科学的に考察するとこのようなオカルト的現象はどのようなことになるのでしょう。
    否定的立場からでも結構です。
    どうか、よろしくお願いいたします。

  2. jun_san より:

    ゴルゴ56さん

    コメントありがとうございます。
    読んでくださっている方がいると思うと、なんだかとても嬉しい気持ちになりました。

    お題の件、色々と思うところはあるのですが、ちょっと頭の中を整理して、しっくり来たときに投稿させて頂きたいと思います。

    しばらくお待ち下さい。

  3. ゴルゴ56 より:

    はい。
    それでは、首を長ーくしてお待ちしております。

    科学的な事がテーマですのに、それとは対極にあると思われるオカルト的なお題を持ち込んでしまいました。
    たいへんぶしつけな事を申し上げて、内心後悔をしておりましたが、
    色々と思うところがある。との、ご返信で、少し安心しました。
    このオカルト的現象(得たいの知れぬ存在がカメラに写り込む現象)を科学的に解釈するとどうなるかが、私の興味心をくすぐります。
    どうぞ、気を長くしてお待ちしておりますので、この私のお題にとらわれず自由にご活躍下さいませ。
    ご返信、ありがとうございました。

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