錯視 と 錯聴 を体感できるサイトがあります。
直リンク http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/
リンク先では、たくさんの例が紹介されているので、おもしろいです。
錯視と錯聴を1つずつピックアップします。
■「ない物」が見える

■「しない音」が聞こえる

リンク先のサイトで遊んでいると、
私たちは、「感覚器官によって把握したことに、脳が記憶などによって補ったもの」を、『現実』だと思っている
ということが実感できると思います。
リンク先のような特殊な環境を作らなくても、普通の生活の中でも、この錯視を実感することがありましたのでご紹介します。
関係するのは、次の2つ。
1つは、ガラスコップ。
もう一つは、塗り薬を入れるプラスチックの容器です。
並べると、ガラスコップの底とプラスチックの容器は、同じくらいの大きさの円だと分かると思います。
ある日、夜中に目が覚めて、薄暗い台所に行ったときのことです。
コンロの横に、ガラスコップがあったので、手に取ろうとしました。
ところが、手に取れません。
あれ?っと思って、手探りで、そのあたりを触ってみると、プラスチック容器だと分かりました。
その容器を手に取って、「円の大きさが同じくらいだから、見間違えたんだな・・・」と思い、また、もとあったところに戻しました。
すると、面白いことが起こりました。(私の、頭の中で・・・)

プラスチック容器を眺めると、再び、ガラスコップの映像が、うっすらと浮かび上がってきたのです。
見間違いではありません。
頭では、「そこにあるのはプラスチック容器で、ガラスコップではない」と分かっているのですから!
「これは、プラスチック容器なのにな・・」と思いながら、 どれだけ凝視しても、ガラスコップの映像は消えることなく、うっすらと浮かび上がったままなのです。
この体験は、人間が知覚している現実は、「脳が、色々な情報から自動的に視覚による情報を補って作り出したイメージである」ということを裏付ける例だと思います。
普段は、プラスチック容器を台所に置くことはありません。
居間の机か、薬を入れるカゴの中にあります。
その日に限って、たまたま、台所にあったのです。
我が家の台所には、プラスチック容器くらいの円の形を持つものは、ガラスコップくらいしかありません。
このあたりのことが脳に刻み込まれていたので、薄暗いところ(視覚情報の少ないところ)では、脳は、非言語思考によって、ガラスコップの映像を作り上げてしまったのだと考えています。
※ 非言語思考については、「無意識」と「非言語思考」と「進化」に関する妄想 をご参照下さい。
こう考えると、私たちが見ている現実には、脳が勝手に作り出したイメージが大なり小なり含まれている可能性は、否定できないと思います。
また、逆に、「見えているものを、見えていないことにしてしまっている」ということもあるかもしれませんね・・・。
ちなみに、この現象は、「心の解釈」の第5部、第6部で説明したことを裏付ける現象の一つでもあると思います。
※マニアックな内容なので、たぶん、かなり難しいと思います。
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