催眠療法をしていて、
「人は答えを知っているのかもしれない」
と感じたと、このブログか、「読むカウンセリング」あたりで書いたことがあったと思います。
ちょっと探してみたのですが、見つけられなかったので、
本論に入る前に、催眠療法の中で起こった現象を、少し説明しておきます。
1.カウンセリングでの不思議な体験
ある方がカウンセリングに来られました。
主訴は、「親しい友人が、私がとても嫌っている人と仲良くするので、今まで通りに接することができなくなって困っている。」ということでした。
「イメージの中の友人にまとわりついている嫌っている人の雰囲気のようなものを、催眠を利用して消してみたら、また、友人とつきあえるようになるかもしれない」
そのような仮説を立て、やってみることになりました。
「暗示」が働けば、仮説のようなイメージの変化が起きて、しばらくは、友達とこれまで通りにつきあえるようになるということが起こります。
(余談ですが、「しばらくは」と書いたのは、一旦、暗示で本当の気持ちを覆い隠しても、根本的な部分が解決されていなければ、同じ問題が再現することが多いからです。この件での根本は、「どうして、その人がそんなに嫌いなのか?」というところが入り口になります。)
実際に催眠誘導し、友達をイメージしてもらうと、予定通り、その友達に嫌いな人のイメージがまとわりついていました。
そこで、そのイメージを消してもらいました。
すると、予定とは異なり、「嫌いな人のイメージを消していくと、それにつれて、同じように、友人のイメージまで消えて行ってしまう」ということが起こったのです。
そこで、嫌いな人のイメージを元に戻していくと、友達のイメージも濃くなっていきました。
何度、繰り返しても同じです。
そして、何度か繰り返している内に、相談に来られた方は、
- 「その友人が自分の嫌いな人と仲が良い」ということを含めたものが、自分の友人そのものなんだ
と、ちょっと、悟りが開けて吹っ切れたような様子になって、帰って行きました。
自己意識だけによって、イメージの変化を起こしているのなら、仮説の通り、嫌いな人のイメージが消えるはずです。
ところが、自己意識では全く想像していなかったことが起こり、しかも、それによって、真実を理解し、一つの解決を得るに至ったのです。
この現象から、人は、自己意識から離れたところでは、真実を知っているのかもしれないと思いました。
そして、「なぜ、真実を知っているのか?」というところを、以前は、「真我」や「ハイヤーセルフ」といったスピリチュアルなところとのつながりではないかと、ちょっと疑いはじめました。
2.新たな解釈への入り口
でも、今回、いくつかのテレビ番組を見て、「なぜ、真実を知っているのか?」というの考え方が変わったので、この投稿を書き始めた次第です。
私に刺激をくれたテレビ番組は、
の3つです。
結論を書くと、人間の脳は、量子コンピュータのように働いているということです。
これまでのコンピュータは、簡単に書くと場合分けの全てを検査し、その中から最善のものを選び出すというような感じで答えを求めると言えます。
だから、場合分けが際限なくある将棋のようなものの答えを出すのは苦手とされてきました。
これに対して、量子コンピュータは、一瞬にして答えが選び出されるという動きをするんだそうです。
今回紹介している将棋の番組では、量子コンピュータではなく、通常のパソコンが用いられています。
このときに考えなければならないのが、「演算に時間が掛かりすぎて答えを出せない」に陥らないこと。
そこで、勝つ可能性の高い「場合分け」を効率的に選び出して検査処理するというロジックをプログラムに組み込むことによって、勝つ確率の高い「次の一手」を早く選び出すように工夫しています。(確か、「枝刈り」と言っていたと思います。)
ETV特集 棋士VS将棋ソフト 激闘5番勝負では、5人の将棋のプロが対戦し、勝ったのが豊島将之 七段 たった1人だけ。
番組の中で、豊島将之 七段が、「最後まで読み切らなくても、この方向で攻めれ勝てそうだということが何となく分かる」といったことを言っていました。
この「分かる」というのが、脳の量子的な性質によるところなのではないかと思いました。
例えば、ドラマなどで「刑事の直感」といった言葉がしばしば使われますが、このような「何となく分かる」という感覚は、根拠がないただの直感のように思えるけど、「論理的に上手く説明できないだけで、本当に分かっている」と考えていいのではないかと思えます。
3.現実について
さて、ここで「現実」ということを、ちょっと考えてみたいと思います。
私たちが生きている「現在」には、「無限の事実」が存在します。
私たちは、それら「無限の事実」から、自分の意識が向いたものをピックアップし、ピックアップしたものが含まれるストーリーを頭の中で組み立て、そのようにして組み立てたストーリーを「自分にとっての現実」と認識します。
ちょっと、難しいかもしれませんね・・・。
例えば、掃除していない道を歩いていて石ころにつまずいたとき、特に気にしない人もいるでしょうし、
- ちゃんと掃除しとけよ
- 疲れているのかな・・・
- 眠気がとれていないな
- 誰かが石をおいたんだ!
- 歩き方が悪いのかな・・・
- 靴が悪いのかな・・・
- 靴が古くなったかな・・・
- 考えごとをしながら歩くと危ないな
などと、思うことは人によってマチマチです。
そして、把握した現実に対する問題意識によって、その対処も変わってきます。
- 市役所にクレームを入れる
- 休養をとる
- 早めに眠る
- 自分を恨んで石を置くような人を探す
- 歩き方を良くしようとする
- 石につまづかない靴を買う
- 新しい靴を買う
- 歩くときは、考えごとをしないようにする
- 同じ事実があっても、人によって意識の方向が違うので、気づくことが異なり、認識した現実・問題意識・目指す解決も異なってくる
ここまでは、ご理解頂けると思います。
更に、
- 誰にも気づかれない事実の中に、本当の現実・本当の問題・本当の解決が隠れている
という可能性もあります。
ここから先、ちょっと理解しにくい内容になるかもしれません。
ここまでの説明を踏まえると、ちょっと極端な表現になりますが、
- 今、目の前にある問題に対処しようとしているとき、自分が把握している課題を解決しようとすることと、それとは全く無関係に思えることに取り組むこととは、実は、大して違いがない
ということが出来るのですが、分かって頂けますか。
つまり、現在に存在する事実は、「私たちが理解している、理解していない」ということに関わらず有機的に絡み合っているということです。
更に、
- 私たちの生きている世界は、事実が有機的に結びついて、次の事実(答え)を出す機能がある
- 事実は、「記憶」という明確な形式はとらないが、次の事実に包含されることによって記憶されていく
という性質もあると解釈することも出来ます。
4.記憶と自己意識について
私たちは、様々な事実を記憶しています。
「事実」が「現在」という三次元的な空間にあるとすると、私たちの「記憶」は、脳の中で、「現在の事実」に時刻という情報を付け加え、時間軸が加わった四次元的な空間を形成しています。
私たちは、自己意識によって、この四次元的に保持されている記憶から、自分が妥当と思える事実をピックアップます。
目の前の気づいた事実に、時間の情報(前後関係)と共に ピックアップした事実の情報 と、自分が納得できる解釈(推測した因果関係)を付け加えて、「自分にとっての現実」として認識しています。
このようなことから、
- 自己意識による思考では、「ごく限られた事実」と「これまでに得た知識」を活用して組み立てることができる答えしか導き出せない
ということになります。
5.脳が量子論的な働きに関する仮説
「1.カウンセリングでの不思議な体験」で説明したことは何だったのか?ということなのですが、
まず、前提として・・・
- 私たち人間には、自己意識によって思考し、それを知覚する器官(機能)がある
- 私たち人間には、脳の量子的な働きによって得られた答えを知覚する器官(機能)がある
ということがあって、催眠状態では、脳の量子的な働きが導き出す答えを知覚する器官(機能)が活性するのだと思われます。
そして、
- 脳では、常に、記憶が有機的に結びついている
- 記憶が有機的に結びついていることによって、脳に量子的な働きが生じる
- インプットを与えると、脳の量子的な働きによって、直ちに、アウトプットが得られる
- 記憶の要素を変更するインプットによって、有機的な記憶の結びつきは、新たな状態に移行する
- この移行は、自己意識の及ぶ範囲を越えて起こる
- この有機的な結びつきの移行は瞬時に起こるため、インプットに対する答えが直ちに導きだされる
ということがあって、
- 嫌いな人のイメージを消すと友人のイメージも薄れ
- 嫌いな人のイメージを戻すと友人のイメージも濃くなる
という体験が瞬時に起こったと考えられます。
このように、脳の量子的は働きは、全てを包含した形で「答え」だけを導き出すので、「分かった」という感覚は得られるものの、それを他の人も理解できるように説明のがするのが難しいということも納得できます。
ですから、「刑事の直感」的なことは、馬鹿にはできないと思うのです。
ちょっと、心理療法のこと・・・
心理カウンセリングを受ける中で心の防波堤を決壊させることができて、心の底からオイオイと泣き、泣き止もうとせずに、自然に収まるまでとことん泣くことができれば、多くの場合、「それまでの苦しいだけだった世界が、明るい世界に感じるようになっている」という経験をします。
これも、「とことん泣けばこれまで解決出来なかった心の苦しみが消え去る」という経験をしたことが新たに記憶に付け加えられることによって、記憶の有機的なつながりが新しいものに組変わるからだと理解することが出来ます。
心理療法の手法に「コア・トランスフォーメーション」というものがあるのですが、それもこの働きを利用しているのだと思います。
6.スピリチュアルで言われていることについて
以前、2度だけ参加したあるスピリチュアルなグループでは、
- 解決出来ない疑問を天に投げかけて、そのまま放っておくと、やがて、日常の生活の中で、例えば、テレビドラマや電車の吊り広告や何気ない会話の中などを通して答えが返ってくる
ということを言っていました。
そのグループでは、これを「スピリチュアルな世界からの回答」と理解しているようだったのですが、今回説明を踏まえると、次のようになります。
- 自己意識による思考の活性が高いために、脳の量子的な働きによって直ちに得られる答えに、その場では気づけなかった
- 日常生活の中には、それに気づかせる刺激が沢山ある
- 疑問に思っていることを考えないと、その件に関する自己意識による思考の活性は低下する
- 自己意識による思考の活性が低下すると、脳の量子的働きによって導き出された答えにアクセスしやすくなる
- そのような状態になっているとき、沢山の刺激の中で、実際に、「脳の量子的働きによって導き出された答え」に気づかせてくれた刺激が、テレビドラマであったり、吊り広告であったり、何気ない会話などであった
昔、「解決したいことを集中的にとことん考えて、その後は考えずに放っておくと、良い考えが浮かぶ」といったことを聞いたことがあります。
皆さんも聞いたことありませんか?
これも、このようなことを言っていたのかもしれません。
現在の私の理解では、「真我」や「ハイヤーセルフ」といった辺りのことは、
残念ながら、スピリチュアルな現象ではなく、「脳の働き」だと思えます。
7.脳の量子的働きを活用するために
脳の量子的働きを活用するためには、あまり考えない時間を作ることが大事だと思います。
瞑想や座禅も有効でしょうし、音楽を聴いたり、温泉や風呂にのんびり浸かったり、景色の良い気持ちいい場所に行ったりするのも有効だと思います。
あるテレビ番組で、スピリチュアルな人が次のように言っていたのを記憶しています。
- スピリチュアルな世界からのメッセージを受け取るために、頭を考えで一杯にせずに、隙間を空けておくことが大事
これも、同じような意味なのだろうと思います。
8.最後に
将棋の棋士がコンピュータ・ソフトに勝つためには、棋譜の研究や将棋ソフトの研究も大事かもしれません。
でも、棋士の脳の量子的な働きによってちゃんと導き出されている答え、すなわち、豊島将之 七段が言っていた「何となく分かる」という部分に効率的にアクセスする練習も大切なのだろうと思います。
(この場合は、たぶん、瞑想になるんだろうな・・・)
ついでに書くと、選挙の時に、マニフェストや公約といったものが重視されがちです。
でも、そのような選挙では、社会の流れが誤った方向に流れ出したとき、そのまま流れてしまうような人を選んでしまうような気がします。
国民の意思を政治に反映させるということで、そのような選挙も大事かもしれませんが、今回の投稿を踏まえると、本当の解決へ向けて国の舵取りができるように、脳の量子的な働きへもアクセスできる人を選ぶことも大切なのではないでしょうか。
棋士と将棋ソフトの対戦をテーマにした番組が再放送されるようです。
- 2015年2月3日(火) 午前2:30~午前4:15
- BSプレミアム
- プレミアムアーカイブス 運命の一手 渡辺竜王VS人工知能・ボナンザ
興味があれば・・・。
【参考】
9.余談
昔、マトリックスという映画を見ました。
ちょっとだけネタバレになりますが・・・
この映画では、熱源として、コンピュータによって人が利用されていました。
科学が、いくら発達しても、きっと、人間の脳の仕組みは理解できないと思います。
だとしたら、人が作るコンピュータの限界は、実際の脳の機能を利用して作ること!?
クローン技術の発達しても、クローン人間は、道徳的にNGであることは今後も変わらないでしょう。
でも、iPS細胞研究所・山下潤教授の研究を見ていると、今のところ、現代人は、人の部分的なもの(臓器など)を発生させるのには、あまり抵抗が無さそう・・・。
真偽は分からないのですが、アインシュタインの遺伝子が保存されているという話を聞いたことがあります。
これらから、ちょっと想像してしまいました。
コンピュータのふたを開けると・・・・
アインシュタインの脳だけが、いくつも並んでいる
ぞっとします。
でも、現代人は、やがてやってしまいそうで怖い。
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