心を楽にするために振り返る子育て

「本当ならタイムマシンも可能になる」って・・・


村山斉・東大数物連携宇宙研究機構長の話

現代の理論物理がよって立つアインシュタインの理論を覆す大変な結果で、本当ならタイムマシンも可能になる。

ただし結果が正しいかどうか、別の検証実験が不可欠だ。

実験は遠く離れた2地点の間でニュートリノを飛ばし、所要時間を計るというシンプルなアイデア。

正確さを確保するには双方の時計をきちんと合わせる必要があるが、これはそれほど簡単ではない。

また、過去の実験と矛盾する点があり、解明すべきことは多い。〔共同〕

ニュートリノ測定結果「本当ならタイムマシンも可能に」  日本経済新聞

「タイムマシンも可能になる」

このときに実現できるタイムマシンは、たぶん、私たちが抱いているタイムマシーンとは異なるものだと思います。

前にも書きましたが、実現できるのは「光学的タイムトラベル」です。

光学的の意味は、「過去の様子が見える」ということ。

ドラマや映画で扱われることのあるタイムトリップのように、過去の場面に実際に入り込んで、そこでの出来事の実体験する(「物理的タイムトラベル」)ではないのだと思います。

それが「相対性理論で言われていることだから・・」となんか特別な非現実的なことが起こると世の中が妄想してしまっているのではないかという気がします。

光ではなく、音波を取り上げてみると、そこには、既に、タイムトラベルが実現された世界が存在します。

やまびこのような現象は、実は、音波によって構築された世界の中では、過去をさかのぼって観測できる現象です。

更に、現代においては、超音速旅客機や超音速戦闘機など、音速を超えることは実現できています。

これによって、どのようなことが実現できているのかを図にしてみると次のようになります。

  1. 誰もいないホームベースめがけてボールを投げる
  2. 打席に向かって走り、自分が投げたボールを追い越す
  3. 打席に立って、後からやってきたボールをバットで打つ
  4. ボールの落下地点めがけて走り、自分が打ったボールを追い越す
  5. 後からやってきたボールを自分でキャッチする

やまびこを観測するときのように、人が音よりも先のところに存在し、それを観測するのではなく、

  • 発生した音波を追いかけ追い越し、過去の音波がやってくるのを待ち、そして、観測する

という環境が実現できるようになったのです。

まっ、これは相対性理論とは関係のないところなので、科学者はあまり興味を示していないようなのですが、

  • 音速的タイムトラベルは既に実現した

といえる状況だと思います。

仕上げとして、過去の観測を行ないたいところですが、飛び越した音波を観測できるほどの、感度の高いマイクを作るのは難しく、実際の観測は無理なんじゃないかという気がします。

これと同じ状況は、光についても言えるのだろうと思います。

鏡は、実は、タイムマシン的な存在です。

もう、ここでは、「鏡はタイムマシンだ!」と言ってしまいましょう(笑)

私たちは、鏡の中に自分の姿を見るとき、「今の自分が写っている」と考えがちですが、厳密には、写っているのは「過去の自分」です。

これはちょっと考えれば理解できると思います。

でも、これを「光を先回りした」とか、「タイムトラベルした」とか言うのは、ちょっとインパクトが小さすぎます。

写っているのは、今に限りなく近い過去です。

過去と呼ぶには近すぎます。

鏡に映った自分を見たり、極論、今、自分が見ているさまざまなものは、タイムトラベルの結果だということができるのですが、人は、それをタイムトラベルとは考えません。

人にとって重要なのが、「追いつき、追い越し、先回りする」ということを実現するということです。

人類は「追いつき、追い越し、先回りする」ということが大好きなのです。

音速のときに使った図が、そっくりそのまま当てはまります。

もし、これが実現できたとしても、音波のときと同様に、人類は、観測機器の性能不足という問題に直面しそうな気がします。

過去の地球の中の人々の様子を観測するには、天体望遠鏡の性能が、悪すぎるということです。

結局、今、地球から、宇宙の深遠を観測するのと同じくらいの情報量しか得ることができないだろうと思います。

仮に、光速を超えて(ワープでもして)、一瞬の内に、100万光年の遠くにある星に行ったとします。

  • 到着した人たちが見るその星は、そのときの姿です。
  • でも、地球上の人にとっては、その星の100万年後の未来の姿です。
  • そして、その星に着いた人が地球を見たとき、それは、100万年前の過去の姿です。


そんなところから、過去の地球を眺めてみても、「地球上の人々が、どのような営みをしているか?」なんて、とてもじゃないけど見えません。

瞬間移動ではなく、光速よりも中途半端に速い速度(30万km(光速)+6km)なんかで行けば、出発した数年前の地球しか見られないなんて事にもなりそうな気がします。(そんな近い過去なら、タイムトラベルの為に宇宙空間に飛び立たなくても、私たちは既に詳しく知っています。)

私たちが夢だと錯覚しているタイムトラベルなんて、そんなものだと思います。

だから、タイムトラベルの話を真顔でしているような記事を見ると、ガッカリしてしまいます。

より速い粒子をいつまでも追求したところで、次のような構図は変わりません。

音速のときにはさほど重要ではなかった上図のような構造と同じ構造に過ぎないものが、相対性理論が偉大すぎたが故に、絶対的な構造だと理解されてしまい、速度(相対性理論が示す光速)へのこだわりを強めてしまったような気がします。

最初に引用した記事では、「ニュートリノは光速を超えた」と書かれています。

光速度(相対性理論が示す光速)超えた・超えていないと言っているうちは、光速にこだわっていることに変わりはありません。

そんな風に、いつまでも、相対性理論の追検証ばかりしててもつまらないように思います。

仮に、光よりも速い粒子が発見されるにしても、相対性理論から離れなければ無理なんじゃないかな・・・。

コメント

  1. jun_san より:

    科学と報道の間で (ニュートリノの速度と光の速度)- 油断するなここは戦場だを読むと、気持ちが落ち着きます。

    その記事は、次のような文章で締めくくられていました。

    いずれにしても、疑問に感じるのはテレビ・新聞の報道姿勢です。ネタとしての会話としてならともかく、「これが本当だとしたら、時間を逆に進むことができる」「アインシュタインの相対性理論を覆す」といった表現ばかりが使われ、実験自体が複雑な解析を要し、またその中でミスが入り込みうるという我々の共通認識が意図的に無視されているように感じます。しばらく報道合戦が続くのかもしれませんが、実験の内容や、研究者の受け止め方が伝わる報道をお願いしたいと思います。

    これ部分は、全ての報道に対して言えることだと思います。

  2. jun_san より:

    ふと思ったのですが・・・

    普通は、加速度が加わらなければ、運動する物体は、初速度を超えることはありません。

    ということは、可能性として
    (1)ニュートリノを発生させるための加速操作において、粒子が光速以上に加速された
    (2)何らかの要因によって、ニュートリノは初速が光速以上となった
    (3)光速以下で打ち出されたニュートリノが加速された結果、光速を超えた

    の3つが考えられます。

    (1)で「光速以上に加速できた」なんてことだったら、それこそニュースなのだと思いますが、そんなニュースは聞いたことはないので、違うでしょう。

    (3)も普通に考えると無理です。

    唯一可能性があるのは(2)です。

    加速した物質と衝突させる物質とが何らかの力によって引き合えば、加速器以上の加速がなされるかもしれません。

    このニュースの本質は、その辺じゃないのかな?

    「もし、ニュートリノが、光速以上の運動をしたとしたら、どのような働きによって、光速以上に加速されたのか?」

    でも、関連する記事を読んでいると、

    ■「ニュートリノ」 = 「光速を超える運動をするもの」

    と思えてしまいます。

    鯖(サバ)は止まると窒息して死んでしまうので、休むことなく泳ぎ続けます。

    ニュートリノも、止まると死んでしまうので運動し続けるのでしょうか?

  3. jun_san より:

    陽子か原子の中にニュートリノが閉じ込められているときに、光速以上の速度で運動していると考えることができるかもしれません。

    でも、仮にそうだとすると、「光速を超えるとタイムトラベルが可能になる」という考えに従えば、この世に存在する全てのものがタイムマシンになってしまうような気がします。

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